ゲームを4人用に作った人は偉大。

小さいころは本当に毎日のように兄と兄の2人の親友と、4人で遊んだ。

その仲間内でも一番狭い我が家にわざわざ集まってテレビゲームをして騒いだ。スマブラでサムスの掴みビームが伸びる裏技を試してみたり、マリオパーティー1の「いろいろキノコ」というミニゲームを延々とやり続けたりした。マリオテニスも死ぬほどやった。それに飽きると、近所の公園や駐車場で日が暮れるまで缶蹴りをした。子どもの3歳差は途轍もなく、缶蹴りに限らず外での遊びではほとんど僕がオニになった。オニの僕が探してる間に、3人が戻ってまたゲームしていたこともあった。その時は普通に笑った。

僕は年下でいつも軽んじられたし、いくら努力してもほとんど三人に敵わなかったけどそれでも毎日が心の底から楽しかった。時間なんていくらあっても足りなかった。変に斜に構えたりせず、鼻水を垂らしながら目の前のもの面白がった。

思い出は美化される。この思い出もその更新作業をすでに済ませたものなのかもしれない。それを悲しいとは思わないし、「人の記憶を勝手に」なんて憤慨したりもしない。

今では、ぶくぶくと太ってプロレスラーのような体型になってしまった兄は幼いころからその片鱗はあったものの、大学に入って何の影響を受けたか、もの凄く性格の悪い人間に出来上がった。全体的にグレート・ムタみたいになってしまった。

僕は兄のラインを「絶対殺す」で登録している。「おにいちゃん」が父親に叱られているのを見て泣いてしまったというはちゃめちゃにピュアな頃の僕からは考えられない。僕自身もいらない知恵や過剰な自意識を身に付けてしまった。

 

実家にある穴のあいたタンスを見て、なんとなくそんなことを思いました。