おばあちゃん子への警告

おばあちゃん子だった。

小学生のころ、僕の活動動機は8割以上おばあちゃんだった。おばあちゃんに褒めてもらうために、苦手なスポーツも勉強も頑張った。僕は字が汚いけど、「竹の字だけは綺麗に書けるね」とおばあちゃんに言われてから、チラシの裏にたくさん竹の字を書いては見せていたというハチャメチャにピュアなエピソードをおぼえている。中学生高校生になるとさすがに会いに行く回数は減ったが、それでも少ない家族の一人として愛していた。これは関係ないかもしれないけど、僕はしんどい時や立ち直れない時にはドラえもん4巻の『おばあちゃんのおもいで』を読んで泣く。ドラえもんは4巻しか持ってない。

大学に入学し一人暮らしを始め、何度目かの帰省のとき。いつもと変わらず、まっさきにおばあちゃんに顔を見せに行った。おばあちゃんは3年ほど前から体がよわくなってきたことと軽い認知症で医療施設に入っていた。行きの車内で母から「結構進んでる」と聞いた。実際に会うまで、僕はその言葉の重みを理解せずにいた。 会ってみると確かにだいぶ痩せて、雰囲気もどことなく弱々しくなっていた。でも最も衝撃的だったのが

「だれでした?」 

認知症というものを甘く見ていた。想像をはるかに超えた感覚を味わった。好意や思いが一方通行になるのは往々にあることだけど、記憶が一方通行になることってあるんだ。自分とその人との関係や、あらゆる体験がなかったことになる。そのなくした分を取り返そうと言葉を投げかけても、次会う時には「だれでした?」に戻る。ほとんど賽の河原だ。しかも救われない。

認知症とはまた違うが、創作において安易に持ち出されやすい記憶喪失とは本来、周囲が短期間で受け止めることができないことを体感してしまった。関係が深ければ深いほど、寄せる愛情が深ければ深いほど、痛みや悲しみはそれだけ大きくなる。なんなんだ、このシステム。不条理すぎるだろ。ふざけるなよ。

 

帰りの車内で、せめて僕はこの先もずっとずっと、おばあちゃんのおもいでを失くさないようにと胸に刻んだ。気がする。