運転の巧拙とセックスのそれ

遅めですが、合宿免許で自動車免許をとってきました。今回はその感想というか、不満を書きます。自動車教習所のカスみたいな教官。今回はこれに尽きるんですが、これを「お前の器が小さいんだよ」の一言で片づける方もたくさんいると思います。そうなりそうな方はすぐにでもお使いのデバイスの電源を切ってお外で最高の同期と一緒にクソみたいなフラッシュモブパイ投げドッキリでもやっててください。成功するといいですね^^ 

 

本題。車の運転が上手い人はセックスも上手いってフレーズをなんとなく聞いたことがあるけど、僕が女だったら前戯中に舌噛みちぎってでも死んでやるとしか思えない教官しかいなかった。見た目については僕がどうこう言えたものでもないけど、態度と性格が終わってるジジィしかいなかった。  

ちょっと覚えてる範囲で羅列

・2、3回乗ってやっと車に慣れてきたあたりで、僕がちょっとミスしたら鬼の首を取ったように「あーあ、そこはちがうんだよなぁ」とか「お前落ちるよ」とか言ってたジジィが路上教習の時に「俺、弱い者イジメ嫌いなんだよね」とか言い出して「カス」と思った。 

卒業検定の前日になって「その車の止め方は違うね~。昔の止め方はね~」とか言い出してきたジジィがいて「今のやり方を教えろよ。昔のやり方知ってどうすんだよ、カス」と思った。

・ずっと黙っててロクに教えないジジィがいて、運転中にわかんないことがあって質問したら「なんでわかんねえの?」って言ってきて「あーーーーーー!カス!!」と思った。

・Aのジジィが言ってる事とBのジジィが言ってる事が違ってて、それを理由に僕が怒られたのが全然納得できなかった。「ジジィ同士の争いなんて誰も興味ねえよ。せめて教習所単位で足並みそろえるか、殴り合って最後まで立ってたジジィの言うとおりにでもしろよ、カス」と思った。

・ただ、好きだった教官が一人だけいて、口数の少ない渋い雰囲気の職人っぽいおじさんだった。口数は少ないけど話してて楽しいし、教え方も丁寧で「なんでこの人がこんなところにいるんだよ。どこでもやってけるだろ、カス」と思った。

 

合宿中にこんな感じのことを年上の人たちに話すと「教官はどこでもそんなもん。ああいう人たちのことを真剣に聞く必要はない」というアドバイスを賜り幾分か心が安らいだ。それと同時にカス教官が日本全土にわたって生息していることに絶望を感じた。日本人はどこで生まれ落ちたとしても、カス教官からは逃れられないのか…。

後半はずっと「早く自動運転が実現してコイツら全員無職になればいいのに」と思ってた。そんなふうに思ってる間になんとか免許は取れ、地獄みたいな合宿も終わりました。そんな感じです。

あと、怖いもの見たさで、まだ見ぬカス教官の実態も知りたい気もするので、とっておきの教習所カス教官エピソードがあるという方はぜひご一報ください。

ハズレの日

アタリかハズレかで言うとハズレ、勝ちか負けで言うと負けの日ってあるじゃないですか。気付いたら一日中ネットしてた日とか、やりたいことがあったのに空回ってどうにも上手くいかなかった日とか。

胸にあるのは漠然とした焦燥感、だらーっと横たわる寂寥感、理由のはっきりしない苛立ちとか。それをどうにかしたくて何かしようって思うけど、何をすればいいのか分からない。その気持ちをどこにもぶつけられないままで、たったの1、2時間がその気持ちさえ嫌な感情へと変えてしまう。過去の失敗や嫌いな人と交わした会話を思い出してしまって余計に嫌な気分になることもままある。

そんな日にコンビニの有線なんかで、かりゆし58の「オワリはじまり」が流れた日には自分の矮小さをまざまざと見せつけられている気がしてなけなしの自尊心までが完全に死んでしまう。「もうすぐ今日が終わる やり残したことはないかい」という歌詞が心をえぐってくる。冒頭からそんな歌詞が流れてくるから心の準備もあったもんじゃない。出先で人様の涙腺を決壊させないでほしい。ああいう歌を外で流したら捕まる法律をつくってほしい。それとついでにイキッた大学生と理不尽な中年も一人残らず捕まってほしい。

今日がドンピシャでそんな日だったので書きました。

ゲームを4人用に作った人は偉大。

小さいころは本当に毎日のように兄と兄の2人の親友と、4人で遊んだ。

その仲間内でも一番狭い我が家にわざわざ集まってテレビゲームをして騒いだ。スマブラでサムスの掴みビームが伸びる裏技を試してみたり、マリオパーティー1の「いろいろキノコ」というミニゲームを延々とやり続けたりした。マリオテニスも死ぬほどやった。それに飽きると、近所の公園や駐車場で日が暮れるまで缶蹴りをした。子どもの3歳差は途轍もなく、缶蹴りに限らず外での遊びではほとんど僕がオニになった。オニの僕が探してる間に、3人が戻ってまたゲームしていたこともあった。その時は普通に笑った。

僕は年下でいつも軽んじられたし、いくら努力してもほとんど三人に敵わなかったけどそれでも毎日が心の底から楽しかった。時間なんていくらあっても足りなかった。変に斜に構えたりせず、鼻水を垂らしながら目の前のもの面白がった。

思い出は美化される。この思い出もその更新作業をすでに済ませたものなのかもしれない。それを悲しいとは思わないし、「人の記憶を勝手に」なんて憤慨したりもしない。

今では、ぶくぶくと太ってプロレスラーのような体型になってしまった兄は幼いころからその片鱗はあったものの、大学に入って何の影響を受けたか、もの凄く性格の悪い人間に出来上がった。全体的にグレート・ムタみたいになってしまった。

僕は兄のラインを「絶対殺す」で登録している。「おにいちゃん」が父親に叱られているのを見て泣いてしまったというはちゃめちゃにピュアな頃の僕からは考えられない。僕自身もいらない知恵や過剰な自意識を身に付けてしまった。

 

実家にある穴のあいたタンスを見て、なんとなくそんなことを思いました。