ワニ男爵
いやぁ、寒い。くしゃみをしても一人きりです。もうそろそろ冬です。僕がBUMP OF CHICKENのスノースマイルを聴いて泣きながら一人で帰る季節がまたやってきますね。
そんなどうでもいいことは置いておいて、冬は美味しい食べ物の季節でもありますね。あぁ、お鍋食べたい。そこでお勧めする漫画は岡田卓也先生の『ワニ男爵』です。現在出てるのは第一巻のみです!今なら手が出しやすいですよ。
最近の漫画でもアニメでも作品名が説明口調すぎるものって多いですよね。ああいうタイトルも悪いわけではないのですが。そんな中の『ワニ男爵』。良いですよね。タイトルからは男爵位を与えられたワニが主人公ってこと以外全くわかりません。「男爵位を与えられたワニ」ってなんだよ。
主人公はその「ワニ男爵」ことアルファルドJドンソン。ちょっと前に流行った擬人化とかじゃなくマジのワニ、マジワニです。
この漫画の主要キャラクターは主に二人で、もう一人はウサギのラビットボーイです。こいつ、ビジュアルはなかなか可愛らしいんですが…。
かなり堂の入ったクズみたいです。
正反対の性格のこの二匹が意外と良いコンビなんですよ。
この漫画は壮大なストーリーがあるわけじゃなく、日常系に分類されるものだと思います。ですが、今後の伏線も匂わせている節もあり、なかなか油断なりません。作品全体の雰囲気で言えば、どうぶつの森というよりはズートピアに近いかなという感じです。
第一話冒頭のこのページがこの漫画をよく表してます。
毎回こんな感じで始まって、この二人が実際にあるグルメを食べ歩くというのがこの漫画の一つの大きな流れになります。香川のうどんであったり牡蠣であったり。これは大阪のタコヤキ回ですね。
食べ歩きの他には恋に悩む青年を助けたり、親離れした男の子と出逢いどうこうといった話もあり、読者を飽きさせない工夫を感じます。
僕が一つだけ言いたいことは、このワニ、皆さんが思ってるよりかなりちゃんと紳士してます。ラビットボーイの無知ゆえの軽率な行動をたしなめてこの一言だったり、
文句や不平不満など、思ったことをすぐに口にしてしまうラビットボーイにこのセリフ。僕はここでシビレました。
かっこよすぎでしょ、このワニ。 いやワニさん。これにはさすがにクズもこの表情です。
また、メインの二匹以外にもいろんな動物が各話ごとに登場します。純愛を拗らせすぎて変態的な象さんだったり
あとは世界で一番殺害予告を受けてそうなビーバー 。
こう紹介するとなんだかロクなのがいませんが、ちゃんと可愛らしい動物もたくさん登場するので興味がある人はぜひ本棚に加えてみてはいかがでしょうか。 お腹も心も満たされる素敵な作品だと思います。
あと個人的に良いなぁと思ったのが
「生(オリジナル)」
ではでは、今回はこの辺で。
とんがり帽子のアトリエ
この間、世間はハロウィンだなんだと乱痴気騒ぎでしたね。ああいうイベントでは毎度毎度「今日は皆浮ついてるし、俺もこの雰囲気に乗っかって適当な女を抱いてやる」って目をしたギンギンの男根たちが街をウロウロしていてウケちゃいますね。
ほかには女の人が魔女のコスプレをしてる人をよく見かけました。魔女宅のキキとか。そんなこんなで第二回目の漫画紹介は魔法モノです。あんまり関係ないっすね…。
第二回目となる今回紹介するのは白浜鴎先生の『とんがり帽子のアトリエ』です!現在2巻まで出てます!
主人公は小さな村の仕立て屋に生まれた娘で、幼いころから魔法使いに憧れてる女の子ココです。最近の漫画では割と癖のある性格の主人公が多い中、ちゃんと平均的な女の子って気がしてこのキャラには好感が持てます。
ただ、憧れが強すぎて魔法について語るときはtwitterにいる人みたいになります。こういう小ボケも大切ですね。
ですが、この世界では生まれた時から魔法を使えない人は魔法使いになれないという決まりがあり、ココは夢を諦めていたのですが、魔法使いキーフリーとの出逢いやあることがきっかけになって魔法使いへの道を歩み始めます。
ここまでが第一話になります。印象的な締めの言葉と、物語のヒキも充分、と良い初回だと思います。こんな感じで主人公ココを中心に魔法の世界で起こる冒険を描いていくのがこの漫画です。最近では珍しい王道ファンタジーですね。
第二話ではキーフリー先生のアトリエで一緒に学ぶキャラが登場します。テティア、リチェ、アガットです。何がとは言いませんが、田村ゆかり、能登麻美子、石川由依だと思います。
他の方のレビューを見ると、この辺の展開をハリーポッターに例える人が多いですね。個人的にはいい意味でもうちょっと漫画的かなと思います。今後、このサブキャラ達の掘り下げも丁寧にやっていってほしいですね。特にリチェ(CV.能登麻美子)が仲間に心を開く展開とか期待してます。どうやってもかわいいでしょ…。
思うに、この漫画の一番魅力的な部分は細々とした設定だとか世界観です。例を挙げるなら、魔法は書いた魔法陣の形によって効力が違ってきて、大きく書いたものは魔法の規模も大きく、綺麗に書いたものはより長時間発動するだとか。他の作品ではなぁなぁにされがちなこの辺の設定がよく考えられてるなぁと思います。
ま、それはそれとして。ここまで見てもらえたらわかってもらえてると思うんですが、作者の白浜先生メッチャ絵上手いんですよ。もう笑っちゃうくらい上手い。作者の白浜先生の経歴を見てみたら東京藝術大学デザイン科卒業とあって、今年最大の「なるほどな!!!」が出ました。コマ割りもほかの作者さんの漫画ではあまり見ないタイプのセンスを感じます。やっぱり出版社もそういうところを売りにしていきたい様で、2巻には通常版のほかに、画集が付いた特装版があります。興味がある人はこっちの方を購入してみても良いと思いますよ!
あと個人的に良いなぁと思ったのが
深淵に消えるトイレかぁ
王道のファンタジーに抜群の画力。良い組み合わせだと思います。ではでは、今回はこの辺で。
なんだかんだ前回の『恋情デスペラード』の更新から結構時間が空いてしまいました…。ほんとはもう少し早く、それこそハロウィンの時期に更新したかったんですが色々あって11月中旬まで引っ張ってしまいました。全部ドラゴンクエストライバルズが面白いのが悪い。
恋情デスペラード
最近kindleを手に入れて、前から読みたかった漫画をアホほど買ってしまいました。ワンクリックでモノが買えて即利用できる全能感ってヤバイですね。多重債務者ってこうやって生まれるのかな。
その大量に購入してしまった漫画の中に良いなぁと思ったのがいっぱいあったので、他人に勧めたい欲をここで発散します。傷付いちゃうから「今更それ勧めんのかよ、ダセぇな」とか思わないでね…。できたらこういうの続けていきたいな。今回が第1回め。
1回目はアントンシク先生の『恋情デスペラード』です!現在4巻まで出てます。
内容はと言うと、時代劇と西部劇とファンタジーとスチームパンクとラブコメをごちゃまぜにしたような漫画です。たぶんこれで合ってるはず。作者が好きなものを詰め込み過ぎて読者が置いてけぼりを食らう作品は割と多いですが、これが意外とちゃんとまとまってるし、作品として完成してるんです。
作品の雰囲気をほんとに一言で言うなら「鳥山明の一枚絵」が一番近い気がします。単純に見ててワクワクします。それと劇中の効果音が全部英語です。RUMBLEとかTHUMPとか。そういうところのセンスも鳥山作品っぽい(何かを評する時に違う作品を持ってくるのはナンセンスだなと自分でも思ってはいるんですが、何卒ご容赦を…)。
なにより画力がすごい。 特にアクションシーンの出来とメカの描き込みが素人目から見ても素晴らしい。
ストーリーはと言うと、日本一の夫を探して旅をする女の子、紋子が主人公の物語です。読み始めはなんだか嫌な目的だなあと思ったんですが、キャラクターの魅力と魅せ方で意外と嫌味なくスラスラ読める。むしろ紋子の性格が粋で、ちゃんと主人公然としていてカッコいい。主人公が男だったら読者によってはただの軽薄なキャラになってたと思うし、主人公を女の子にしたのは良采配なんじゃないかと思う。 話の構成は一話完結に近く、紋子が毎話毎話旅先でゲストとなるイケメンと出逢って惚れてチャンバラ込みの一悶着、が基本です。ですが、おっきい展開の伏線もきっちり張っていて今後にも期待できます。
この主人公が旅先でまぁー惚れる惚れる。1巻につきだいたい4人に惚れます。
各話メインのイケメンキャラも敵キャラも使い捨てとは思えないくらいデザインが凝ってるし、キャラも立ってる。特に紋子の服装、持ち物のデザインが滅茶苦茶カッコいい。各話間のページにある設定画もオタクの大好物だと思います。
好きなシーンがあって、一巻の最後の方に紋子が死んじゃいます。まぁお察しの通り、これでこの漫画が終わるわけでも男塾の田沢みたいに翌週当然のように登場するわけでもありません。
弔いのためにこの回のゲストイケメンがキスします。
生き返ります。便利ですね。
ギャグっぽいのにこの辺が妙にアツい。恋っていう根源的で最大の感情を唯一のエンジンにするキャラクター紋子が普通に魅力的だと思いました。自分を殺しに来た敵に向けて言ったこのセリフが最高にカッコいい。僕の人生でコレ言う機会ないだろうなぁ…。
あと、個人的に良いなぁと思ったのが
『おきゃん・きゃん』
ではでは、今回はこの辺で。続けられたらいいなぁ。
夏の終わり。スカルグレイモン。
夏が終わる。鈴虫の声や閉じかけの窓。なんだかもう一気に秋だ。上着を着始めた。手首に布が当たる感覚がなんだか少し懐かしい。
9月にはいつも独特の焦燥感や寂しさが付きまとう。やり残した宿題なんてもうないのに。
そういえば小学生のときはとことん宿題をやらない子どもだった。たまの気まぐれで提出するときは、朝早く登校して通学路途中の公園で宿題を終わらせるという合理的なんだかそうじゃないんだかよくわかんないことをしていた。あの頃から僕には嫌なことを先延ばしにする癖があったんだと思う。それか単純に頭の残念な子どもだったのか。
そんな残念な子どもが時間を経て、現在、体の不調を頻繁に感じるようになった。寒いんです。公共施設のエアコンの温度設定が、外気が。ババアかよと自分でも思ってしまう。僕の正統進化はジジイのはずなのに、いつのまにかスカルグレイモンだ。
それと「腰痛」「肩凝り」という言葉に反応するようにもなってしまった。Amazonのほしいものリストに腰痛予防グッズが3つ入ってるこの現状はなんなんだよ。僕は22歳になりたての若人様だぞ。人生における盛夏の時期にこんな体たらくだ。全く情けなくて泣けてくる。
僕だってこんなはずじゃなかったんだよ、アグモン。
おばあちゃん子への警告
おばあちゃん子だった。
小学生のころ、僕の活動動機は8割以上おばあちゃんだった。おばあちゃんに褒めてもらうために、苦手なスポーツも勉強も頑張った。僕は字が汚いけど、「竹の字だけは綺麗に書けるね」とおばあちゃんに言われてから、チラシの裏にたくさん竹の字を書いては見せていたというハチャメチャにピュアなエピソードをおぼえている。中学生高校生になるとさすがに会いに行く回数は減ったが、それでも少ない家族の一人として愛していた。これは関係ないかもしれないけど、僕はしんどい時や立ち直れない時にはドラえもん4巻の『おばあちゃんのおもいで』を読んで泣く。ドラえもんは4巻しか持ってない。
大学に入学し一人暮らしを始め、何度目かの帰省のとき。いつもと変わらず、まっさきにおばあちゃんに顔を見せに行った。おばあちゃんは3年ほど前から体がよわくなってきたことと軽い認知症で医療施設に入っていた。行きの車内で母から「結構進んでる」と聞いた。実際に会うまで、僕はその言葉の重みを理解せずにいた。 会ってみると確かにだいぶ痩せて、雰囲気もどことなく弱々しくなっていた。でも最も衝撃的だったのが
「だれでした?」
認知症というものを甘く見ていた。想像をはるかに超えた感覚を味わった。好意や思いが一方通行になるのは往々にあることだけど、記憶が一方通行になることってあるんだ。自分とその人との関係や、あらゆる体験がなかったことになる。そのなくした分を取り返そうと言葉を投げかけても、次会う時には「だれでした?」に戻る。ほとんど賽の河原だ。しかも救われない。
認知症とはまた違うが、創作において安易に持ち出されやすい記憶喪失とは本来、周囲が短期間で受け止めることができないことを体感してしまった。関係が深ければ深いほど、寄せる愛情が深ければ深いほど、痛みや悲しみはそれだけ大きくなる。なんなんだ、このシステム。不条理すぎるだろ。ふざけるなよ。
帰りの車内で、せめて僕はこの先もずっとずっと、おばあちゃんのおもいでを失くさないようにと胸に刻んだ。気がする。
陰キャの主張
ぼくは言葉選びについて一家言ある。
と言うといかにも高尚な考えを持っているように聞こえるが、何のことはなく、嫌いな言葉が多いというだけだ。
「陰キャ」という言葉が嫌いだ。ぼく自身がこの言葉で形容されるタイプの人間だということもあるが、それにもまして「陰キャ」という言葉が嫌いだ。ひとの気分を害するためだけにつくられた言葉のように感じてしまう。暴力性を持った言葉というのは他にいくらでもあるんだろうけど、どうもこの言葉には発言者の驕りや嘲りなんかも透けて見える。「自分はお前らとは違い、価値のある人間だ」という素敵な思い込みがいったいどこから来るのか教えてほしい。「自信がある」と「人の心に土足で踏み込む」は紙一重だと思う。この言葉が喉を通り、唇から零れ、空気を揺らし、相手の耳に入る。この一連を平気で、心に何も背負わずにこなせてしまう人に私はなりたい。
やっぱりなりたくなんかない。
しゅうしょくかつどう
義務教育を修了し早数年。ある日突然空からお金や実績や信頼、良好な人間関係がいっぺんに落ちてくるのではないかという希望を、僕は未だに持ち続けている。そここそが僕の気持ち悪さと性格の悪さの象徴なのだということも自覚している。落ちものにしても出来過ぎ。そんなことが罷り通ったら、ライトノベルの突飛な展開に肩まで浸かりきっているオタクたちも一斉に異を唱えるんだろう。
今日、髪を切ってきました。気分転換のためではなく、もちろんおしゃれのためなんかでもなく、就活のためです。はい。
僕はいま大学3回生。とうとう就職活動が解禁になっていしまいました。憂鬱で仕方ありません。自分の価値を否定されたくないという甘えも少なからずある。でもそれ以上に、自分が他人に好かれなきゃいけない、興味を持ってもらわなきゃいけない場所に立つことが嫌だ。
人生における頻出問題「あなたの夢・目標は何ですか?」は思ったより巨大だ。それぞれの人間には、それぞれの分にあった希望や夢というものがある。小さいころは何を言っても許される。「プロサッカー選手」「総理大臣」「宇宙飛行士」。広げた風呂敷をたたみきれなくても許してもらえる。でも、いつからか、そんな答えにすら責任がのしかかってくる。クラスの日陰者がいきなり「お笑い芸人になりたい」なんて言ったところで、陰で笑いものにされるだけだ。
自分が口にしてもいい範囲をうまく突きながら、他人に興味を持ってもらえるような「夢」。僕には難しすぎる気がします。この大きな問いに狼狽したまま老い、死んでいく人生なんだろう。僕は、面接官さまに興味を持たれるような人間じゃないんです。ポケモンGOはせっかくスマホっていうデジタルなものを使ってるんだから、デジモンでこそやるべきだったんじゃないかとか、よく行ってたローソンが閉店しちゃって悲しいとか。そんなくだらないことしか考えてないんです。
流れ星を見たときに願い事を言うと叶うというアレ。アレはたぶん、不意に夢や目標を聞かれても即答できるくらいにそれを本気で願っている人というのは、それに向けての明確な努力をしているので叶うみたいなことだと思う。
大人になりたくない。なんの責任も背負わず生きていたい。ずっとおウチでティラノサウルスのマネとかしていたい。
何を書きたかったのかを完全に逸してしまった。おわり。